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丈山苑

  • 仲田國堅
  • 2015年8月3日
  • 読了時間: 2分

2015年 4年ぶりの春に帰国しました。

驚いたことに、東京、大阪、京都、名古屋の駅前は新しく変貌してました。

我が故郷の西三河もトヨタの工場群の中で変わりました。

かつては、この三河と尾張の境に半径30キロ内に、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、

徳川家康、加藤清正らの武将が誕生しました。昔、松並木の東海道は、

大物が行き来したに違いありません。三河とは、その名のとうり3つの川、

矢作川、逢妻川、境川があります。石川丈山の邸、丈山苑は、安城市にあります。

西に家康の母のいた刈谷、東に徳川、松平の岡崎、南に吉良があります。

丈山苑は、こじんまりとした竹藪の中に、庭園、池、渡り橋の先に休憩所、

小川も流れ、半畳ほどの展望台と遊び心も入れた隠居邸です。

姉の運転でついでにと隣の実家のあった知立(昔、池鯉鮒)にもたち寄りました。

ここには八橋というかきつばたで、知られている場所があります。

八橋と言うと京都の方が有名ですが、元はここが発祥の地です。

その名のとうり8つの橋があったそうです。

から衣 着つつなれにし、つましあれば、はるばるきぬる、旅をしぞ思う。

と在原業平(伊勢物語)が歌いました。

(無量寿寺)近くにお墓があります。京都の遺跡から、(7-8世紀)この地の職人の

名が書いた木簡が見つかったと昔TVで見ました。

弘法大師とも縁の深いお寺もいくつかあります。

昔は、のんびりとした宿場町だったようです。

注釈:詩吟で最初に学ぶ「富士山」の作者である石川丈山は、江戸時代の初め武士と

   して、文人として活躍した人です。石川丈山は、後半生は、京都に建てた詩仙堂

   ですごしました。その詩仙堂のイメージを生誕地に(愛知県安城市)に再現した

   ものが丈山苑です。

 
 
 

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© 2015 Kinpu Kokuseiryu Shigin Kai

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